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スリランカ、熱帯建築家ジェフリー・バワの原点を旅する

©Geoffrey Bawa Trust
バワのプライベートルームの壁に貼られていた写真。右手の青年が若き日のジェフリー・バワ。

いま世界が注目するリゾートエリアといえば、そのひとつがスリランカであることは間違いないだろう。三年前に内戦が終結して以降、欧米からの客が激増、西海岸のリゾートが乾期のベストシーズンを迎えるこれからの季節は、ホテルも早めの予約が必要になる。
日本ではスリランカというと、世界遺産の仏教遺跡観光がメインと思われているが、実はアジアンリゾートの代表格、バリと深いつながりがある。キーワードとなるのが、熱帯建築家のジェフリー・バワだ。以前、バリのリゾートとしての歴史が始まった場所として、サヌールビーチのタンジュンサリを紹介したが、1973年、そのタンジュンサリに隣接する別荘地、バトゥジンバの建築家として招かれたのがバワだった。

タンジュンサリの創業者、ウィヤ・ワォルントゥがそうであったように、アジアンリゾートの創始に関わった人たちは、東洋と西洋の接点をバックグラウンドとする人物が多い。ジェフリー・バワも例外ではない。スリランカ人でありながら、限りなく白人に近い容貌、エキゾティックな響きのあるファミリーネーム。それは彼が生まれ育った、かつてセイロンと呼ばれた島国が辿った歴史そのものでもあった。父方の祖父母は、いまは世界遺産となっている港町ゴールで出会い、瞬く間に恋に落ちて結婚したアラビア人法律家とイギリス人の娘だった。そして、その息子の父と、やはりヨーロッパ人との混血の家系だった母との間に生まれた次男がジェフリー・バワである。

建築家としてのスタートは1957年。そのとき、すでに彼は38歳になっていた。母方がプランテーションの経営者であったバワの家族は、自ら働く必要のない裕福な上流階級だった。第二次世界大戦のさなかにオックスフォードに留学、その後、ヨーロッパを旅した彼は、北イタリアにお気に入りのヴィラを購入し、悠々自適の生活を夢見る。ところが、戦後の経済情勢の変化で、夢は叶わぬものとなる。失意のうちに帰国。故郷にイタリアの夢を実現しようとする。だが、それも金がかかることを知り、夢の実現のために自らが建築家となる決意をする。それが遅咲きのキャリアの理由だった。

建築家となる原点となった理想郷は、南部のビーチエリア、ベントータにある「ルヌガンガ」だが、もうひとつの拠点として、1958年、コロンボ市内のオフィス兼自宅として入手した「ナンバー11」がある。バワの精神に触れるのなら、「ルヌガンガ」に足を延ばすのがベストだが、彼の美意識のエッセンスが凝縮した「ナンバー11」も見逃せない濃密な空間である。コロンボ市内の閑静な住宅街という訪問しやすいロケーションも魅力。バワのベッドルームや事務所などのあった一階部分は、事前予約のツアーで見学するミュージアムとして、またゲストルームのある二階部分は、宿泊施設として利用することもできる。

バワが亡くなったのは2003年のこと。まだ10年もたっていない。だからなのだろう、かつての生活の息づかいがリアルに感じられて、ドキリとさせられる。 特別に入れてもらったプライべートルームには、生前のバワが愛用した眼鏡や時計、旅行鞄などが、いまも主の帰りを待つかのように置いてあった。そして、バスルームの壁には、青春の日、イタリアを旅した時のセピア色の写真が貼ってあった。二階のゲストルームで目を引くのは、リビングルームに置かれたグリーンの菩提樹をかたどったオブジェだ。バワとしばしばコンビを組んで活躍したアーティスト、ラキ・セナナナキの作品である。1970年、バワは大阪万博のセイロンパビリオンを設計した。残念ながらいまはもう見ることは出来ないが、熱帯建築家が唯一、日本で手がけた作品である。そのパビリオンのシンボルだったのが、これを巨大にしたオブジェだった。岡本太郎の太陽の塔がそびえていたあの万博で、バワの建築とセナナナキの菩提樹が大阪の空を仰いでいたのだ。

二階ゲストルームのリビングルーム。大阪万博の会場を飾った菩提樹のオブジェがある。
二階ゲストルームのベッドルーム。
一階ミュージアムのダイニングルーム。宿泊するとここで朝食がサービスされる。
一階ミュージアムのリビングルーム。

最初のバワホテル、ジェットウイング・ラグーンへ

熱帯建築家ジェフリー・バワが注目される理由のひとつは、彼が多くのホテル建築を手がけたことだろう。祖父母ゆかりの地であるゴールの「ライトハウス」や、シギリヤロックなどの多くの世界遺産で知られる文化三角地帯にある「カンダラマ」など、いくつも有名なホテルがあるが、今年、大規模なリノベーションを経て、再オープンした注目のバワホテルを紹介したい。空港に程近いネゴンボに位置する「ジェットウイング・ラグーン」だ。ネゴンボは、仏教国のスリランカにあってキリスト教徒の多い、独特な雰囲気のある漁師町である。1965年、「ブルーラグーンホテル」という名前で開業したホテルは、バワが最初に設計したホテルであり、同時にスリランカで最初のリゾートホテルだった。1980年代半ばまで営業していたが、その後、忘れ去られ廃墟のようになっていたのをバワの代表作、「ライトハウス」を運営するスリランカのホテルチェーン、ジェットウィングが買い取り、バワ建築の魅力を最大限に生かしつつモダンなリゾートホテルに再生したのだ。

エントランスから100mのプールとレストラン棟をのぞむ。
「バワスイート」のベッドルーム。
ラグーンに面したレストラン「ブルー・ラグーン」。
特徴的な大きな窓を背景に、オリジナルデザインのバーカウンター。

開業当時のオーナーと父親同士が友人だったジェットウィング会長のヒーラン・クーレイは、子供の頃、父に連れられ初めて旧ブルーラグーンホテルを訪ねた時の思い出が、今回の決断に影響を与えたと語っている。100mの巨大なラッププールや増設した客室棟など、新しく加えた施設もあるが、レストラン、バーをはじめ、多くの建物がオリジナル。客室では「バワ・スイート」「バワ・ルーム」とネーミングされているものがオリジナルの建物だ。住宅や学校が多かった初期の仕事を反映してか、全体にこぢんまりとして、住宅に近い印象を受ける。だが一方で、バワの物語を知らなければ、きわめてスタイリッシュないまどきのホテルに見える。それだけ彼の建築が、リゾートとしての完成度が高かったということだろう。ニゴンボという便利な立地は、スリランカ到着の一泊目や最終日の宿泊にも便利。だが、バワの作品をいくつか見た上で泊まると、その奥深い魅力がより味わえると思う。ホテルの敷地は一方が波の穏やかなラグーンに、そしてもう一方が道路を隔てて、波の打ち寄せるビーチに面している。オリジナルのプールはビーチ沿いにあり、そこにはいくつかのヴィラも建てられていた。現在、ビーチ側のエリアも修復中。来年には、ヴィラなど新しい施設が加わる予定だ。

Data

ナンバー11
見学は要予約のツアーにて平日の午前9時から午後4時。
詳細はバワ財団のHPを参照
http://www.geoffreybawa.com/

宿泊予約は下記HPを参照
https://sites.google.com/a/geoffreybawanumber11.com/www/guest-suite

ジェットウィング・ラグーン
Jetwing Lagoon

http://www.jetwinghotels.com/jetwinglagoon/

日本での問合先:
ジェットウィング・トラベルズ / ホテルズ
E-mail:travel@jetwing.jp (日本語)

ジェフリー・バワをはじめとするスリランカの旅の問い合わせ先:
セレンディピティ倶楽部
www.serendipityclub.jp
E-mail : mail@serendipityclub.jp

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