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創業50周年を迎えた伝説のリゾート
ここからバリは始まった

タンジュンサリ/バリ・サヌール

サヌールの朝日を浴びて、タンジュンサリの朝。
タンジュンサリの門からサヌールビーチを見る。

バリといえば、クタの北に続くスミニャック、あるいは内陸のウブド、南のウルワトゥなどが近年、話題のエリアだろう。大型リゾートの多いヌサドゥアも来年開催のAPECに向けて盛り上がりを見せている。その中で、どちらかというと地味な印象なのがサヌールである。だが、もしここにアジアで最初のブティックホテルと言われる「タンジュンサリ」が生まれなかったなら、バリはいまのようなアジアを代表するリゾートではなかったかもしれないのだ。創業50周年を祝うパーティーで挨拶に立った創業者ウィヤ・ワォルントゥの二番目の妻、タティエは、タンジュンサリのことを「インターネットがなかった時代のフェイスブック」と喩えた。

アジアリゾートの始まり、
ウィヤ・ワォルントゥ

アマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカも、アマンダリやスミニャックのオベロイ・バリを手がけた建築家ピーター・ミュラーも、タンジュンサリをたちあげたウィヤ・ワォルントゥがいなかったなら、これほどバリに関わらなかったかもしれない。そして、ゲストブックには、多彩なジャンルのセレブリティが名前を連ねる。英国貴族の第十五代ベッドフォード公爵夫妻にデンマークのイングリッド女王、ミック・ジャガーやデヴィット・ボウイ、リンゴ・スターにオノ・ヨーコといったロックスターたち、人類学者のマーガレット・ミードもいれば、女優のイングリット・バーグマンもいた。彼らは、タンジュンサリが贅を極めたラグジュアリーホテルだったから集ったのではない。いまもそうであるが、タンジュンサリのバンガローは、ごくシンプルなバリ建築で、TVもない。しかし、そこに行けば「本当のバリ」があったから、そして、何よりゲストを「本当のバリ」に誘ってくれるウィヤというナビゲーターがいたから、彼らはタンジュンサリに来たのだった。

祝賀パーティーの日、7月6日は、ウィヤ・ワォルントゥの誕生日だった。1926年に生まれ、2001年に75歳で亡くなった。もし生きていたなら86歳になっていたはずの誕生日。会場のあちこちに設置されたスクリーンに彼の写真が映し出される。一夜限り、天からウィヤが舞い降りてきた錯覚を起こさせる心憎い仕掛けだった。舌を噛みそうにエキゾティックな名前と、映画俳優を思わせる端正で、欧米的な容貌。ウィヤ・ワォルントゥとは何者だったのか。

生まれはオランダのユトレヒト、母親はオランダ人で、父親は北スラウェシのメナド出身のインドネシア人。まだインドネシアという国自体が存在しない、オランダ植民地だった頃のことである。その後、ウィヤはジャワ島で少年時代を過ごし、英国で教育を受け、ロンドンで出会ったジュディスという英国人アーティストと最初の結婚をし、デザイナー、アートディラーとしてジャカルタに落ち着く。やがて二人は、アンティークの買いつけで訪問したバリの虜となったのだった。舞踊や音楽、アートなど、豊かな芸術を育んできたバリは、戦前から欧米の知識人が訪れていたが、時代ごと、後に彼がその役割を果たすことになる「インターネットのない時代のフェイスブック」的役割を果たす人物がいた。1930年代のウォルター・シュピース、1940~50年代のジミー・パンディがそうだ。1960年頃のこと、いつもジミーのバンガローに厄介になっていた彼らは、それもどうかと思ったのだろう、自分たちの土地を探すことにした。ジミーとボートを漕ぎ出し、海からサヌールビーチ沿いに見つけたのが「花の岬(タンジュンサリ)」という名前の小さな寺院と椰子の木が生い茂る閑静な土地だった。そして、そこに家族で過ごすバンガローを建てたのである。

タンジュンサリの誕生

ホテルとしてのタンジュンサリの創業は、彼らが友人たちのために4軒のバンガローを建てた1962年のことになる。ジミー・パンディが去った後、すっかりバリの魅力に魅了されていたウィヤが彼の役割を担うことは、ごく自然な流れだった。彼がそれまでのナビゲーター役と異なったのは、そこをホテルとしたことだろう。64年にウィヤはデュディスと別れ、ジャワ出身のタティエを二度目の妻としたが、ジュディスとの子供、タティエの連れ子、タティエとの子供、そのいずれもがワォルントゥ姓を名乗り、いまも多くが、父の残したホテルや関連事業に携わっている。

ウィヤ・ワォルントゥのポートレート。
若かりし日のタティエとウィヤ。

タンジュンサリが50周年を迎えた今年、ガルーダインドネシア航空も日本就航50周年の節目を迎えた。1962年、初就航はジャカルタだったが、バリの観光政策を推進するスハルト政権となると、本格的にバリの観光地としての整備が始まる。そのひとつが1969年、ングラライ国際空港の完成だった。そして、1966年、日本の戦後賠償でサヌールに建てられたのが、「バリビーチホテル」である。椰子の木より高いホテルは禁止というルールが生まれる前の、バリで唯一の11階建ての高層ホテルだ。まるでタンジュンサリのアンチテーゼのような、マスツーリズムを象徴するバリビーチホテルがサヌールに建ったからこそ、ウィヤは、ブティックホテルとしてのタンジュンサリをより完成したものにしようとしたのかもしれない。

アマンとバリモダンにいたる系譜

バリビーチホテルが開業した年の暮れ、一人のオーストラリア人アーティストがバリを訪れ、タンジュンサリに滞在した。オーストラリアのアート界で広く名前を知られていたドナルド・フレンドである。まもなく彼は、ウィヤ・ワォルントゥと意気投合、タンジュンサリの思想をさらに拡大するプロジェクトを計画することになる。
それらは、いずれもサヌールビーチ沿い、「マタハリ」と名付けた大型リゾートホテルと、土地の名前をとって「バトゥジンバ」と名付けたエクスクルーシブな別荘地だった。マタハリのプロジェクトのためにオーストラリアから招聘したのが建築家ピーター・ミュラー、そしてバトゥジンバのためにスリランカから招いたのが建築家ジェフリー・バワである。ちなみにドナルド・フレンドは、ジェフリーの兄ベイビスと長く恋人関係にあった。そうしたつながりも関係していたのかもしれない。
マタハリの夢は頓挫したが、そのマスタープランを受け継いだのが1973年開業の「バリ・ハイアット」である。タンジュンサリがブティックホテルの原点とするのなら、大型のアジアンリゾートの原点は、ウィヤとドナルド・フレンド、ピーター・ミュラーが夢見たマタハリの遺伝子を受け継ぐバリ・ハイアットなのである。もっとも70年代の日本人観光客は、もっぱら日本の戦後賠償で建てられたバリビーチホテルに滞在し、それをリゾートだと思っていたのだが。
ピーター・ミュラーは、その後、スミニャックで最初のラグジュアリーホテル、「バリ・オベロイ」を設計し、さらにウブドを世界に知らしめた「アマンダリ」を手がけることになる。一方、ジェフリー・バワがバトゥジンバに建てたヴィラも、後に彼自身が熱帯建築の巨匠と呼ばれるようになると、一部のマニアからバリモダンの原型と噂されるようになる。その背景は、ドナルドのオーストラリア帰国後、バワが建てたバトゥジンバのドナルド・フレンドの家が、アマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカにリースされたことに起因する。後にアマン建築を多く手掛けることになる建築家エド・タトルが、そこで試みた改装のアイディアが、アマンプリで実現されたのだ。アマンの建築を手がけたことのないバワが、アマンの原型となった、と都市伝説めいて語られる理由である。

左:ホテルのエントランスには50周年を祝うバリの旗。 中:タンジュンサリの「ヴィレッジバンガロー」のベッドルーム。 右:同じくヴィレッジバンガローのバスルーム。

いま私たちが心地よいと思う、バリの、あるいはアジアのリゾートの原型は、すべてタンジュンサリとウィヤ・ワォルントゥをめぐる仲間たちの中から生まれたのだ。パーティーは、タンジュンサリの歴史を綴った本『tandjung sari A Magical Door to Bali』の出版記念を兼ねていた。少しつたない司会進行は、美女揃いの孫娘たち。彼女たちの美貌に、ハンサムでプレイボーイだったウィヤの生前を重ね合わせる。ディナーの後は、50人の少女ダンサーがビーチを埋め尽くす、ありえない規模のバリダンス。文化の継承に長年尽力してきたタンジュンサリならではのパフォーマンスだ。夜がとっぷり更ける頃、いつもは静かなプールサイドのライブラリーが一夜限りのダンスフロアになった。76年から77年のヒットナンバー、アバのダンシングクイーンが流れると、タティエ・ワォルントゥが、ウィヤにエスコートされるかのようにステップを踏みながら登場した。すると、会場はひときわの盛り上がりを見せたのだった。

左:50人の少女ダンサーによりバリダンス。 右:50人の大人のダンサーのパフォーマンスが続く。中央に立つのは、バリハイアット、アマンダリなどの庭を手がけたランドスケープデザイナーのマデ・ウィジャヤ。
左:プールには50周年を祝うくす玉、ライブラリーはダンスフロアとなった。 中:深夜までパーティーは盛り上がった。 右:司会をするウィヤの孫娘たち。パーティーのドレスコードは50周年を祝し「ゴールド」。
スピーチをするタティエ・ワォルントゥ。
記念出版された本『tandjung sari A Magical Door to Bali』。

Data

タンジュンサリ公式サイト
tandjungsari.com/

ガルーダ・インドネシア航空公式サイト
www.garuda-indonesia.co.jp/

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