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医食同源の極み! 西太后のアンチエイジング料理に迫る
厲 愛茵 厲家菜 オーナー兼料理長

食事時には100品以上の料理を作らせ、肌や体の状態に合わせて選んでいた西太后。各料理人は1、2品のみを担当し、約120名のプロフェッショナルが、清の咸豊帝の妃のためにアンチエイジング料理を研究していたのである。その全貌を把握し、今に伝える唯一のファミリーが北京の厲(れい)家だ。
先日、門外不出のレシピを受け継ぐ料理人、厲 愛茵(レイ・アイイン)さんが来日した。レストラン「厲家菜(れいかさい)」のオーナーでもある彼女は、西太后のアンチエイジング料理について語ってくれた。それは、健康へのこだわりから生まれた医食同源の食事だ。



――19世紀後半、清王朝末期の権力者であった西太后は、美と権力を追求した人物として有名です。アイインさんの祖先は高級官僚で、宮廷の家庭料理を管理されていたそうですね。
曾祖父のレイ・ズーチャー(厲 子嘉)は当時、内務府総理大臣、紫禁城護衛軍の総督、光緑寺の住職などを務めていました。御膳房(皇帝の厨房)は内務府に置かれていたので、皇帝の献立はすべてズーチャーが査定し、侍医と共に調理に関わっていたのです。また、清王朝が崩壊した後は、数名の宮廷料理人を自宅に連れて帰り、皇帝の親類や遺臣を招いて料理を振る舞っていたそうです。ラストエンペラー・溥儀の弟、溥傑は「巧みな腕で宮廷料理を慎み深く調理し、手の込んだ八種の珍味を伝承する」という詩で賞賛し、やがて曾祖父の料理は「宮廷料理厲家菜」として知られるようになりました。そのレシピは厲家だけに伝えられています。

――1985年にアイインさんのお父さん、レイ・シャンリン(厲 善麟)さんが北京にレストラン「厲家菜」をオープンすると、西太后が食べていた料理を求めて美食家が集まるようになりました。
現在、厲家菜は上海と東京にもあります。北京の本店と六本木ヒルズの店は私がオーナー兼料理長で、上海店は弟が担います。調理法がとても難しいため、どの店も席数を少なくし、圧倒的な品数で当時のままの宮廷料理を振る舞っています。

――美を求めた西太后の食事のスタイルは、どのようなものだったのでしょうか。
健康に気を遣う彼女は、朝食を少なく、昼に多く、そして夜は昼よりも控えて食べていました。毎回、100皿以上を食卓に並べさせましたが、すべてを食べていた訳ではなく「吃一・看二・観三」と分けていました。手前から、食べる料理・見えるので食べるかもしれない料理・遠いので眺めるだけのもの、ということです。体調に合わせて料理を選び食べていたのです。そして、宴会や披露宴、外国からのお客様をもてなすときなどは200品以上も料理を出していました。
抱えていた料理人は約120名。御膳房という皇帝のキッチンには、焼き物の房、炒め物の房、デザートの房などがあり、そこで料理人たちは1つか2つの料理を研究していました。同じ食材を使いながらも、西太后は毎日違う味を求めていたので、御膳房には常に緊張が張り詰めていたそうです。今の料理人たちは、そのような緊張感がなくていいですね(笑)。

――彼女はどんな料理が好みだったのでしょう。現代でも同じ物を食べることはできますか。
西太后は、すべての食事を健康・肌・美のためと考えていました。免疫力を高めたり老化を防いだりする料理を考えさせ、中でもツバメの巣をもっとも好みました。現在は「燕の巣と卵白の炒め物」「燕の巣と山芋の蒸し物」などとして厲家菜の主菜やデザートメニューに並びますが、野生の巣はもう手に入らないため、タイや香港で養殖された物を使用します。そのほか、魚の浮き袋や豆腐、牡蠣なども好物で、味付けや調理法を変えては常に出されていたそうです。厲家菜でも「魚の浮き袋と冬虫夏草のスープ」「翡翠豆腐」など、当時と同じ料理を食べていただくことができます。
興味深いのは、西太后は40代になると魚の浮き袋よりもサメの唇を食べていたことです。浮き袋にはみずみずしい肌を作るコラーゲンが含まれていますが、サメの唇のコラーゲンは違う種類のもので、軟骨を作る効果があります。年齢にあわせて食べる物を変え、平均寿命が40代の当時に、74歳まで元気に生きました。医者と共に考えられたレシピはまさに医食同源ですね。ちなみに、彼女は牛肉を食べなかったのですが、他民族をもてなすために牛肉のレシピも残されています。厲家菜では当時のレシピに忠実に調理し、1回の食事に23〜30皿ほどを提供します、中には「飛龍」のようにもう手に入らない食材もあります。飛龍とは鳥の種類で、ハトとニワトリの間のような食感があり、今は鶏肉で代用しています。

――アイインさんは、以前は内科医をされていましたが、1995年にお父さんの後を継いで厲家菜のオーナー兼料理長になりました。
子どもの頃から父の料理を食べていて大好きでした。中学生のときに「どんな作り方をするのだろう?」と興味を持って研究するようになりました。私は厲家菜でしか料理を学んでおらず、他を知らない料理人です(笑)。日本のお客様は、食材を確認しながら一品一品を大切に食べて、厲家菜を深く理解してくださいます。これからも厲家に伝わるレシピを守りながら、感謝の気持ちを込めて作り続けていきたいと思います。

 

「燕の巣と卵白の炒め物」
(31,500円のコースから)

ツバメの巣には水溶性タンパク質、シアル酸、繊維質、脂質、カルシウム、ビタミンB1などが含まれている。細胞の再生を促し、美肌と免疫力アップのほか、健康回復や放射線の副作用に対する防衛能力を高める効果などがある。
「魚の浮き袋の煮込み」
(47,250円のコースから)

インド洋で獲れる「大黄魚」(フウセイ)の乾燥浮き袋をスープで戻し、そこにニンジンを炒めて香りを移した「ニンジン油」を入れて煮込んだ。魚の浮き袋には美肌効果の高いコラーゲンがたっぷりと含まれている。
「翡翠豆腐」
(前菜の1品)

豆腐好きだった西太后は、翡翠(ひすい)をこよなく愛していたことでも有名。青豆とホタテ貝柱を使って翡翠に見立てた豆腐料理は、各コースの前菜で食べられる。全コースとも前菜は20品を提供する。
「赤ハタの揚げ物 辛味醤油ソース」
(26,250円のコースから)

アカハタを丸ごと揚げ、唐辛子を使ったさっぱりした醤油ソースで味を付けた。魚沼産のコシヒカリと一緒に食べる。19世紀にはまだ化学調味料や添加物は存在しておらず、厲家菜でもそれらは一切使用しない。
「三不粘」
(デザートの1品)

皿に付かない・箸につかない・歯につかない、という意味から名付けられた三不粘(サンプータン)は、卵黄、トウモロコシの粉、油で作られたデザート。シンプルだが混ぜ方に技術を要するため、厲家菜でもっとも難しい料理だ。
※メニュー及び価格は2013年7月現在。料理は季節によって変わります。

 

厲 愛茵(レイ・アイイン)
「厲家菜(レイカサイ)」オーナー兼料理長

「厲家菜(レイカサイ)」オーナー兼料理長 1956年北京に生まれる。曾祖父は清王朝の高級官僚で、西太后の家常菜(宮廷家庭料理)の責任者だった厲子嘉(レイ・ズーチャー)。厲家のみが管理する門外不出の料理を、14〜15歳の頃から両親の指導のもとに学び始め、現在は厲家4代目料理長として活躍する。父、厲善麟(レイ・シャンリン)が1985年に北京に開店した「厲家菜」を1995年に継いでオーナー兼料理長に就任。2003年東京・六本木ヒルズに「厲家菜」をオープン。

厲家菜公式サイト
http://www.reikasai.com

 

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