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Satoru Yahata

八幡暁

 海洋冒険家

Profile

生き延びる、という冒険

“グレートシーマンプロジェクト”。太平洋オーストラリア〜日本の海域に暮らす「偉大なる海人たち」を訪ねる旅に、八幡暁が漕ぎ出したのは2002年のことだった。ほぼ身ひとつ。持ち物は、シーカヤックに入るだけ。銛、足ひれ、テント、寝袋、ときには海に浮かべるエアマットに、わずかな調理道具、そして旺盛な探究心。「知らないことに出会いたい」「その術を学びたい」。シンプルな感動と情熱に突き動かされ、総行程一万キロの人力航海を今も続けている。文化人類学のような、海の民を訪ねるその旅は、やがて賛同者を伴い日本全域を舞台にする“海遍路”へと広がっていく。海辺に暮らす人々と漁師たちの知恵。人が生き抜くために身につけた術。人間と社会のあり方とは。八幡は問い続ける。   



(上)インドネシアのとある海、油を引いたような海面に手を休める。(左下)自然災害の少ないフィリピン、パラワン諸島の漁村は、海に面して暮らしを続けていた。(右下)ブスアンガ島では、日本の舟屋のような景色に出逢った。

海に生きる人に会いに行く、
人の営みに会いに行く

オーストラリアから日本、地球上でもとりわけ無数の島々が連なる西太平洋の多島海域で、人々の暮らしはどのような連続性を持っているのか、それを見てみたい。そんな思いに突き動かされて、八幡のシーカヤックの旅『グレートシーマンプロジェクト』は、始まった。古の海の民の航海を追体験し、今も海と共に暮らす人々=偉大なる海人の暮らしをつぶさに見て行こうという旅。
そのフィールドに入るための道具は、最も無力で、最も原始的な船に近いシーカヤック。だがこの船さえあればどこへでも行ける。食料も自給自足。海に潜って恵みを頂き、ときに漁民と漁をし、御馳走になりつつ島から島へ。
「海から手漕ぎの船で何も持たずにやってくる。そんな人間だから誰も警戒しないんですよ」
どこの世界の海の民も、カヤックで海から訪れる八幡を、尊敬と哀れみの混じった表情で受け入れてくれる。屈託なく、自然体。スラリと大柄な体躯にはエネルギーが溢れている。そんな八幡の少年時代は、多摩の自然を駆け巡るまさにガキ大将だった

強烈な憧憬

東京都福生市で生まれた八幡は、男3人兄弟の末っ子。兄二人に追いつこうとしてか、人一倍「できないことをできるようになりたい」という願望を感じて育った。まだ緑残る郊外の街で、来る日も来る日も川に潜って魚を捕まえる幸福な野生児。毎日が冒険と失敗に満ち満ちていた。原体験となったと思われる最も古い記憶は、3−4歳の頃、父親が故郷小樽の海で、ウニやムール貝を潜って穫って食べさせてくれたことだ。あまりにも美味だった。「それが僕の人生を狂わせたのかも」と八幡は笑う。「僕も獲りたい! 潜れるようになりたい!」。強烈な憧憬を抱いたことを、今でもはっきりと覚えている。

中学から高校まではスポーツを中心とした暮らしにあけくれた。野生児時代の自主性と試行錯誤は、その暮らしの中で埋没した。主体的に何かを取り組むというより、勝つ為に、与えられた課題をこなしていくだけの毎日へ。大学の体育会でやるだけの気力も失い、何か心の輝きが消え、すっかり迷ってしまった。そこから家に閉じこもり、本など読んだことがない生活から一転、毎日、文字を追うことになる。「知らないから知りたい」という強烈な欲求と、自然への憧憬が、再びムクムクと沸き上がってきた。

脳内スイッチ。野生の目覚める瞬間

ふと表へ出ると、川辺にあの頃のキラキラ輝いた光景があった。そのまま多摩川上流へと向かう。子供の頃に行けなかった所まで行こう。
「ザブザブと渓流を遡上し、大きな沢を軽装のまま素手でスパイダーマンみたいによじ登って落ちて流血。でも楽しい!! だって、ここには何が正解、何がいけないということがないのだから。落ちることがあってもね」

ある日、夢中で分け入った山の中で、帰る方角が分からなくなってしまう。「自分の身の丈を越え自力で帰れないのだから、これはもう遭難ですよね、ニュースになっていないだけで」。八幡は渓谷の中でヤマメやイワナを釣り、夜を越そうと考えた。それほど寒くなかったその秋の一夜が、忘れられない夜になった。

誰もいない暗闇の渓谷の、どこに自分がいるのかよくわからない。何も知識がない。眠れず神経は研ぎ澄まされ、猿や鹿のかすかな鳴き声が耳に響く。怖い。それでも頭は冴えていた。それは「脳細胞にスイッチが入った瞬間」だった。街にいると決して聞こえないが、ここでは毎日がこうなのだ。知らない世界へ脱する魅力に、触れてしまった。

それからというもの八幡は世界各地の「知らない世界」をバックパックひとつで歩いて回る。モンゴルではただひたすら西に歩き、現地の人のゲルに招かれ羊飼いをした。その家の子供と一緒に平原で羊を追っているとき、4−5歳くらいと思われる子供に笑われたことを思い出す。「八幡の手は赤ちゃんの手みたいだね」
その子供の手は、既にグローブのように固かった。

素潜り漁師になる!

その星空が世界で一番美しいと聞けば「見に行こう」と飛び出し、凄い人だと感銘を受ければ「会いに行こう」と旅支度をする。世界を放浪する当時から、動き出す時は常にシンプルだ。大学時代のある日、新聞で読んだ八丈島の素潜り漁師に感動し、早速現地へと押し掛けた。
「その人は泡も立てずにスーっと潜り、途中から動かずフワーっと落下して、最後にスタっと海底に立った。人間が海底に立つ瞬間なんて見たことないでしょう? 凄い! 人間凄い!」。驚いたのはそれだけではない。トン、と仕留めて海面に上がるその僅かな間に、漁師は魚を活き締めにし内臓を抜いてしまう。静かで鮮やかな技。後にそれが最も鮮度を保てる方法だと知る。「これはやるしかない」。即座に海での素潜り漁をマスターしようと決めた。潜った海は見たことのない魚だらけ。「この水中で見える魚を全種類喰うぞ」。そんな目標を立て八丈島に足を運ぶことになる。

(左)ロンボク島から小島へと。(右)インドネシアのとある帆舟。

「漁の現場の人が食べているものは、僕が20年間食べて来たものと全く違いました。流通の問題で、僕らが食べているのはほんの一握りの種類だけだった。でも海の魚は全部旨い! これは世界中の魚を見なくては、と」
就職なんてしている場合ではない。そう感じた八幡は果たして水中の魚をすべて獲れるようになると、バックパックで世界の港町を訪ねて旅をするようになる。それぞれの地の漁をマスターしたい、そんな思いもあった。今や八幡には、足ひれと銛さえあれば、どこででも生きていける自信がある。なにしろ海に潜れば食べるものに困ることはない。
「トルコやギリシアを回っているとき、僕の獲った魚を見て懐かしい、売ってくれないかというおじいちゃんが現れた。いやあげますよ、なんてやっているうちに、注文が入るようになっちゃって(笑)」。

(左)荒れるジャワ島の海に苦戦(右)日が昇る前から漕ぎだせば、鮮やかな色彩に出会うことがある。

カヌーとの出会い



(左)熱帯域の暮らしには、必ずと言っていいほど椰子の木がある(右)赤道に掛かる首飾りと称されるインドネシアの島嶼海域を渡る。

ニュージーランドの荒海に向かう。

港町の旅も3年ほど経つと、本当に行きたいのは、情報や流通などのインフラが届かないような世界だと感じるようになる。
「そんなときにカヤックに出会った。カヤックは移動するのにも、素潜りにもすごく適した道具だと分かり、1年間ぐらい八丈島の海で猛練習。その頃には既に、オーストラリアから八丈島まで行こうって決めていた。そこは世界で一番島が多い海域なのに誰も行かないし、日本人のルーツのひとつでもあるから」

海に沈んだ大陸スンダランドと、サフルランド(現在のニュージーランドとオーストラリアあたり)。この二つの太古の陸地を行く生き物の姿を想像すると胸が高鳴る。「昔の人類の、いや人類以前の生物の連続も見えるはず。これは絶対面白い。なんで皆行かないんだろう、って思っていましたね(笑)」。茶化す声にも思わず熱がこもる。「それは冒険というより文化人類学的な活動というか、探検というか…。どちらにしてもたいしたことじゃない。ただ好きなんでしょうね」。

とはいえ、この海域には、世界で最も渡るのが困難とされる場所が幾つかある。ニューギニア南岸、バシー海峡、台湾海峡、宮古島—久米島間。カヤック単独無伴走で渡るなど危険すぎる試みだと言われた。周囲から「迷惑だからやめてくれ」と止められたこともある。

一万キロの人力航海

太平洋西部オーストラリア北東部、ウェイパ。世界最大のボーキサイト産地に程近い西側の突端が、『グレートシーマンプロジェクト』の起点だ。そこから漕ぎ出しパプア・ニューギニア、インドネシア、フィリピン、台湾、沖縄、八丈島まで。もちろん一気に渡るのではなく、区間を区切り順序や向きはランダムに、しかし最終的におよそひと続きの経験となるようルートを設定した。黒潮を横切り、この太平洋の海域を自在に横断、縦断する。
ひとくちに太平洋と言っても、与那国島から台湾間は110km、最も長い宮古島から久米島間は220kmの昼夜連続3日かけた漕破。まさに冒険・挑戦と呼ぶべき過酷な海を乗り越え、史上初のシーカヤック単独漕破記録も幾つか打ち立てた。
「現代人で手漕ぎで行こうとする人はいないから冒険家と言われたけど、でも昔の人もやっていたことなんですよね、もっと過酷な状態で」

八幡の単独航海記録

神奈川~沖縄本島2250 km
西表島~沖縄本島500km
台湾~与那国島黒潮横断140 km
フィリピン~台湾海峡横断700km
八丈島~鎌倉黒潮横断270km  ※すべてシーカヤック単独無伴走初漕破

「僕の旅は“グレートシーマン”に会いにいく旅。僕が凄いと思える海人に会いに行く、人の営みに会いに行く。魚穫ってくるお父さんだけでなくお母さんも凄い。これだけ文明が発達しても海で生きるのは厳しいのに、未開の地になればもっと危険度は増す。僕はそんな名もなき漁村へ行きたかった」

手銛一本で鯨を仕留める伝統漁で有名なインドネシア東ヌサテンガラのレバンタ島ラマレラ村にも訪れた。マッコウクジラの背中に人間が飛び乗る漁には驚愕するが、八幡は単独の島や地域ではなく、その全てを連続して見知っているということに価値を見出す。

獲った鯨は、皆で解体し、分配していく。

「鯨に飛び乗る人を凄いと思うだろうけど、僕にとっては鯨を獲る人も黒潮におびえて生きる人も一緒だなと思えた。凄いことはその環境が作り上げさせたもので、それができないと生きていけないから。つまり、できるとかできないとかそんなに気にすることじゃないのかなと。誰にいつ何のスイッチが入るかわからないわけだし」

結局生きていればいい。共同体の全体が生命体として生きていければいい、生き抜くことが大事なのだ。でも僕らの社会では勝たないのは努力が足りないからとか、失敗者と呼ばれてしまう。八幡の中のそうした思いが、海の波に削り出され輪郭を表していった。

当初は4年で終わる予定だったが、もう足掛け12年。グレートシーマンの旅は、まだ2割の2000km程が残っている。
「5つの難関を渡った時点で、どこの海も渡れるという確信ができたから、じっくりと取り組んでいきたいですね」

当初は、パタゴニアまで行くのはどうだろう、とも考えた。日本からベーリング海峡を越え海沿いの寒冷地域まで渡る旅。完遂すれば、オーストラリアからチリまでぐるり、環太平洋の現場暮らしを見ることができるのだ。今でも飛行機の中から西太平洋上を眺めれば、海沿いに暮らす人々の様子が手に取るようにわかる。老若男女それぞれの顔を思い出しながら、これはまるで神様の視点のようではないか、その視野を広げたい、と純粋な好奇心が首をもたげる。

パプア・ニューギニア。(左)丸木を石斧のみで倒し、くり抜いた舟は現代でも使われている。(中)家、衣類、生活道具は、全て足下のジャングルから作り出される。(右)男性しか入ることのできない家。煙を焚き、太鼓を鳴らし、踊り続けた。
(左)フィリピンでもインドネシアでも子供が遊ぶ様子は、どこも同じだ。(中左)海に落ちる滝は、暮らしの要でもあり、遊び場でもある。(中右)子供達と薪を拾いに人力車で移動中。(右)大荒れの海から河川へ避難していると、「引っ張って行ってやるよ!」優しい言葉。

がしかし、その旅には出ていない。5年前に子供が生まれた頃から「(世界の暮らし、サバイバル、冒険など)特殊な環境が好きな人間が好きなことをして、それに興味がある人だけが見ているという構図では何も世の中は変わらない」と考えるようになったからだ。
様々な現場で痛感した経済システムと、資本主義による多様性の衰退、文明と自然のせめぎあい、人間と社会の関わり、失われつつある世界のこと、生き抜くということの意味。自分の経験し感じたことを伝えなくては。そんな思いが八幡に強く芽生えた。自分がやっているのは自然の中で生き抜く技を身につけるということだけ。でも人間が本当に考えて生き延びるというのは、凄く楽しいことだ。

四国、宮城、海遍路は続く


(上)「海遍路」では、海へ行ったことのない若者も乗せていく。(左下)カヤックは弱く、美しい。(右下)朝焼けとスコール。24時間、大気は様々な変化を見せてくれる。

そうして始まったのが『海遍路』という活動だ。シーカヤックを2−3艘連ね、普段海と関わりがない人たちを乗せ、むき出しの海で生きる人々の暮らしを訪ね歩く。八幡に共感した学者たちや、カメラマン、ときには高校生も加わることもある。
「海遍路に参加すると皆凄く感動する。どんなに高名な先生でも現場に直接触れる機会は少なくて、海に触れて海に生きるという実感が伴わなかったりする。調査に行くとしても全てがアレンジされている状況では本当のことを知ることはできないから」。けれど、海から手漕ぎで突然やって来て、「貴方たちの暮らしを知りたいんです」と真剣に伝える八幡らを、皆歓待してくれる。

「漁師のコミュニティはしぶとい」

最初は3年かけて四国を巡った。震災が起きた2011 年は、宮城へ。親潮と黒潮のぶつかる日本3大漁場のひとつにも数えられる豊かな海だが、それ故自然の猛威にさらされてきた場所でもある。現場では何か起きているのか。
「語弊がある言い方かも知れませんが、わかったのは、『漁師のコミュニティはしぶとい』とうこと。漁村には、『こんな凄いことをした』ではなく、『こう失敗した』という教訓こそが伝わっている。「なぜ死んでしまったか」、「なぜ帰ってこなかったか」。「無理するな」、「黒潮には近づくな」と。黒潮の中に行けて凄い魚穫れたぜ、みたいな話はあまりない。伝えるべきはやはり死なないこと。生きる、ということなのだと。そういうことが人のしぶとさを作り出しているのだと」

災害の現場でも漁師の共同体は強かった。
「どこの被災地でも漁師の結束と統制あるコミュニティの避難所では、手持ちのパイでなんとかしようというのが徹底されて機能していた。水がなければパイプを持ってきて山から引く、トイレが壊れれば順番を決めて掃除する。街の暮らしに慣れている人たちの避難所ではこうはいかない。どこの被災地でも同じような話がある」。海で生きている人の感覚はどこでも近いと感じた。

太平洋銀行

宮城県「海遍路」。この漁村で、唯一漁業を再開したお父さん。「海と人の暮らし誰かが伝えねばならねぇ」と。(photos:柏倉陽介)

驚いたのは、ほとんど全財産を失っている漁師たちが皆、八幡らに振る舞いをしてくれたということだった。今日獲れた魚を売れば収入になるはずなのに、「震災後に初めて獲れた魚だから、食べていってくれ」と刺身を作ってくれた。その時に彼らが言った言葉が忘れられない。
「俺らは太平洋銀行の利子で食っている。だから元本には手を出さないんだ」

大自然の恵みの上澄みだけを頂くということ。だから、分けるのは当たり前。そうした考えは自然と共に生きる者の知恵であり性なのだろう。根こそぎ取ったり、独り占めする者がいればその共同体はいずれ衰退する。分け合い、助けあわなければいけない。いつ自分も海のただ中で死ぬかもしれないのだから。
「自然に出たら人は弱いということをわかっているから、そこには弱さの共感がある。だから他人を助けるのは、自分を助けていることと一緒なんです。シーマンシップという言葉があるけれど、そういうことです」
八幡の訪れた漁村では、日本だけでなく、オーストラリアからインドネシア、フィリピン、台湾どこの漁村でも同じように、八幡を助け、受け入れ振る舞ってくれた。
「僕の体は貰いもので出来ているから、返さないといけないですね」 

宮城県「海遍路」。(左)津波の被災地域には、変わらず海と向き合う日常があった。(中)三陸の海岸は、変化に富んで面白い。(右)津波の後、牡蠣の成長は著しく良くなった。(photos:柏倉陽介)

未来を作ること、遊び場をつくること

自分の弱さを知るシーマンシップの思考。海を中心とした自然観があれば日本人は誇りを持って生きていける。そうした持続可能な思考がなければ、環境やエネルギーといった問題も解決できないだろう。2005年から八幡は、石垣島に自身が経験したような感動を伝えるガイドツアーの店を開いた。無人のビーチで魚を獲り、火を起こし、自給自足のサバイバル経験をしてもらう。いっぽう『海遍路』もまだまだ続くし、2015年には残りの『グレートシーマンプロジェクト』にも漕ぎ出す予定だ。

したいのは未来を作ること。本当の遊び場を作ること。2013年に逗子に居を移した八幡は、そのための基地を計画中だ。色々な計画が頭を駆け巡るが、ひとつだけ分かっていることがある。
「独り占めしないことね」

まだキラキラと輝く太平洋を見つめ、グレートシーマンは呟いた。

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Satoru Yahata
八幡暁

 海洋冒険家


1974年東京都生まれ。大学時代より八丈島で素潜り漁を始め、卒業後は「潜れる海があれば、生きていける」と、バックパック、マスクと足ヒレというスタイルで世界各地の漁師の仕事を学びながら国内外を巡る。シーカヤックと出会い、2002年から「海と共に暮らす人々は、どのように生きているのか」をテーマに、オーストラリアから日本までの多島海域を舞台にした1万キロに及ぶ人力航海の旅『グレートシーマンプロジェクト』をスタート。途中台湾−与那国島(06年)、フィリピン−台湾間海峡横断(07年)、八丈島−鎌倉間海峡横断(08年)など世界初となる単独無伴走人力航海記録を複数持つ。2005年石垣島に移住、シーカヤックガイドサービス手漕屋素潜店「ちゅらねしあ」をオープン。
2011年からは学者らと共に日本の漁村を巡る「海遍路」を開始、3年かけてシーカヤックで四国を一周。2014年5月には「海遍路・東北」で宮城県沿岸へ。今後国内各地へと活動範囲を広げていく予定。2013年逗子に移住。

◆海遍路 魚類生態学が専門の高知大の山岡耕作名誉教授と海洋冒険家の八幡暁、森と海の連環学の研究で知られる京都大の田中克名誉教授らが中心メンバーとなり、衰退する漁村で生きる人々の話に耳を傾け、日本人の原点といえる人と海のつながりに焦点を当て、複雑化する社会問題、環境問題の要因や解決策を模索するのが狙い。

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